適切な価値観

適切な価値観が先,生活が後

オタクくんさあ,反出生主義とか言ってないで彼女作ってセックスしな?笑

え?反出生主義?あ〜分かったあれでしょ?

「自分は生まれてこないほうが良かったと思ってるオタクが被害者面して『生んだ親が悪い〜』って言ってるか,結婚出来ないオタクが嫉妬して『子供生むな〜』って言ってるやつでしょ?」

 

「でも俺は生まれてきて良かったと思ってるし親に感謝してるし結婚してるし子供も作るから,残念でした笑」

 

さて,反出生主義は論破されたのでしょうか?

 

 

これは何?

eeic (東京大学工学部電気電子・電子情報工学科) Advent Calendar 2019の12月23日の記事です.

 

お前は誰?

オタク(eeic卒)です.

(このブログに記載されている内容は個人の見解であり,かつて所属していた組織の公式見解ではありません.したがって,「これだから東大卒は…これだから理系は…」という過度に一般化した意見は,私以外の組織の人間に対する謂れの無い誹謗中傷と受け取られる可能性があります.)

 

どういう内容?

基本的には反出生主義をテーマに書いたブログです.本ブログの目的は、反出生主義の周知でも布教でもなく,ただ言いたいことを言うです.
章立てとしては,

  1. David Benatar氏の唱える反出生主義について
  2. 11月24日に学習院大学で行われた「『現代思想』11月号にまつわるシンポジウム」(https://twitter.com/kazuokojima0316/status/1192062041357373441)に参加した感想
  3. 世の中の(無自覚な)出生主義者たちからの問いに対する学術的ではない稚拙な回答集

となっています.元々3についてだけ書くつもりでしたが,前提知識(原著Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence*1ないし訳書生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪*2)を共有出来た方が愉快かと思ったので,一応解説しておくかという気持ちで1を付けました(その割に長い).2に関してはこのブログを書く契機となっただけで,本質的には不要ですが形骸的に残りました.

 

David Benatar氏の唱える反出生主義について

恐らく皆さんは,反出生主義について聞いたことが無い,もしくは,聞いたことはあるがちゃんと調べたことは無い,にも関わらず,雰囲気で反出生主義という名前から想起される「オタク臭」に嫌悪することでしょう.

 

このブログでは反出生主義を,2006年にBetter Never to Have Been: The Harm of Coming into ExistenceでDaivid Benatar氏が主張したものという定義の下で紹介したいと思います.

 

別にこの定義が唯一かつ正しい訳ではありませんが,反出生主義を擁護するオタクも批判するオタクも原義的な意味で知っておいて損は無いと思います.

 

ただし,ここで紹介するのはあくまで簡単な説明であって,厳密オタクの指摘に耐え得るものではありません.厳密オタクは原著を読んでホルホルしておいてください(間違いに関する指摘は可能な限り受けます).

 

私の理解が正しければ,反出生主義は十分な論理的思考力(十分とは?)と健全な道徳観(健全とは?)を持っていれば必然的に導かれる帰結ではありません生命倫理に詳しい学者の間でも懐疑的な見方があるということ理解した上で読み進めていただきたいです.

 

長い文章読むの無理という方はここまで飛んでください.

 

反出生主義を導くための流れ

D. Benatar氏は以下のような流れで反出生主義を導いています.

(普遍的な前提→)基本的非対称性→誕生害悪説→道徳的主張(反出生主義)

 

ここで言う反出生主義とは,

  • 感覚のある存在者[sentient beings]を新たに誕生させてはならない

であるという理解を私はしています.

 

それぞれについて簡単に説明する前に用語の定義をしておきます.

  • 非存在[non-existence]

「非存在」という語は何重にも曖昧である.その語は決して存在しない人にも当てはめられるし,今現在の時点で存在していない人にも当てはめられる.後者の場合は,更に,まだ存在していない人と,もうすでに生きていない人に区別できる.

「生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪」p39

このブログでは「非存在」という語を「決して存在しない人」を指して用います.

  • 生きるに値する人生[a life worth living]

「生きるに値する人生」という表現は,「続けるに値する人生」ーこれを今ある人生の意味としようーと「始めるに値する人生」ーこれを今はまだない人生の意味としようーとの間で曖昧なのである.

「生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪」p31

基本的にこのブログで扱うのは後者の「始めるに値する人生」かどうかという議論であって,今現在生きている人がその人生を続けるべきかどうかという議論とは独立して考えています.

 

普遍的な前提(参考)

これは陽に言及されていませんが,そもそも「論理的であるべき」ということが第一にあると私は感じています.

 

「論理的であるべき」とはどういうことかを厳密に定義する能力は私にはありませんが,「ダブルスタンダード」では無いというのが一つの基準としてあると考えています.文中でかなりの頻度で「〇〇を主張する場合は××も認めなければならない」というような言説が現れるのですが,これが出来る人間は世の中にほぼいないというのが私の実感としてあります.悲しいですね.

 

悲しいですが,以下では「議論とは論理的に行われるべきだ」「ダブルスタンダードは論理的ではない」というルールに則って読んでください.ルールに則ることを承知しない人は今すぐブラウザバックしてください,絶対に一貫性の無い発言を晒して炎上してしまいます.

 

基本的非対称性

D. Benatar氏は以下のような苦痛[pain]と快楽[pleasure](より一般に言えば害悪[harm]と利益[benefit])に関する非対称性を主張しています.

  1. 苦痛が存在しているのは悪い,
    更に
  2. 快楽が存在しているのは良い.
    <中略>
  3. 苦痛が存在していないことは良い.それは,たとえその良さを享受している人がいなくとも良いのだ.
    その一方で
  4. 快楽が存在していないことは,こうした不在がその人にとって剥奪を意味する人がいない場合に限り,悪くない
「生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪」p39

1と2に関して異論を唱える人は恐らくほとんどいないでしょう(例えばマゾヒストが「自分は苦痛があればあるほど気持ちが良い!」と主張することに意味があるでしょうか).しかし,3と4に関しては納得出来ないという人もいるでしょう.

 

そこで,何故3と4のような主張がされ得るのかということについて,D. Benatar氏は以下の4つの非対称性の最善の説明となるからと答えています.

  1. 生殖に関する義務の非対称性
    悲惨な人生を送るだろう人々を生み出すことを避ける義務はあっても,幸福な人生を送るだろう人々を生み出さなければならない義務は無い.
  2. 予想される利益の非対称性
    子どもを持つ理由として,その子どもがそれによって利益を受けるだろうということをあげるのはおかしい.子どもを持たない理由としてその子どもが苦しむだろうということをあげるのは,同じようにおかしいというわけではない.
  3. 回顧的利益の非対称性
    苦しんでいる子どもを存在させてしまった場合,その子どもを存在させてしまったことを後悔すること,そしてその子どものためにそれを後悔することは理にかなっている.対照的に,幸せな子どもを存在させることができなかった場合は,その子どものためにそのできなかったことを後悔することはあり得ない.
  4. 遠くで苦しむ人々と存在しない幸せな人々の非対称性
    私たちが遠くで苦しんでいる人々のことを悲しく思うのは当然だ.それとは対照的に,無人の惑星や無人島,この地球の他の地域に存在していない幸せな人々のために涙を流す必要はない.
現代思想11月号 反出生主義を考える」*3p41

D. Benatar氏は,この4つの非対称性を多くの人が受け入れてくれるだろう,即ち基本的非対称性も受け入れることになるだろうと期待していますが,皆さんはいかがでしょうか.私個人としてはそれほど違和感を感じませんが,もう全然無理という人も中にはいるのではないでしょうか.

 

この基本的非対称性を認めない限り,以下の議論は無価値です.しかし,もしこの基本的非対称性を少しでも妥当だと思うのであれば,もうしばらくお付き合いください.

 

誕生害悪説

D. Benatar氏は,基本的非対称性を前提に,存在してしまうことが常に害悪であること(誕生害悪説)を導く為には,Xが存在するシナリオAと,Xが決して存在しないシナリオBという2つのシナリオの比較(図1)が必要だと述べています.

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図1:シナリオの比較

(1)苦痛の存在(Presense of pain)と(3)苦痛の不在(Absense of pain)を比較すると,非存在は存在よりもメリットがあると言えます.しかしながら,(2)快楽の存在(Presense of pleasure)と(4)快楽の不在(Absense of pleasure)の比較では,存在者の快楽は「良い」としても,それは非存在を上回るメリットにはならないとD. Benatar氏は主張します.なぜなら快楽の不在は決して「悪い」訳ではないからです.つまり,この比較から存在は非存在よりも常に害悪であるという「誕生害悪説」が導かれることになります.

 

誕生害悪説に関するFAQ

Q.「快楽の存在は中立の状態より良いから,『良い』には『悪くない』よりメリットがあるはずじゃないか」

 

これはシナリオBにおける快楽の不在を,あたかもシナリオAにおける快楽の不在と同じように扱っているために起きる典型的な誤謬です.

 

基本的非対称性の4を思い出していただくと,「快楽が存在していないことは,こうした不在がその人にとって剥奪を意味する人がいない場合に限り,悪くない」とあります.この文中に含意されているのは,喪失や剥奪によって快楽が存在していないことは悪い,ということだとD. Benatar氏は述べています.

 

したがって,快楽の不在は,Xが存在するシナリオAでは,快楽の存在と比較して(内在的ではなく)相対的に悪いですが,同じロジックでXが存在しないシナリオBにおける快楽の不在が,シナリオAにおける快楽の存在よりも悪いと言うことはできないのです.

 

恐らくこの説明で納得いただけないと思うので,D. Benatar氏が用いている比喩を図2と共に紹介します(比喩の中で病気は悪いことだという言及がありますが,これは病気を持っている人は不幸だと言いたい訳ではありません.この説明でも不服だと思う方は私ではなくD. Benatar氏本人に文句を言ってください).

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図2:S(Sick)とH(Healthy)の比較

S(Sick=病気さん)は発病しやすいとします.Sは幸運なことに急速快復能力を持っているので,発病してもすぐに快復します.H(Healthy=健康さん)は急速快復能力を持っていませんが,病気には絶対になりません.Sにとって病気になるのは悪いことですが,すぐに快復することは良いことです.一方で,Hが病気に絶対にならないことは良いことですが,急速快復能力がないことは悪いことではありません.急速快復能力は,Sにとって良いことですが,Hに優るメリットではありません.なぜなら,急速快復能力がないことはHにとって悪いことではないからです.つまり,HはSよりも良いということが分かります.この比喩から図1におけるシナリオBはシナリオAよりも良いと言えるとD. Benatar氏は主張します.

 

Q.「急速快復能力はマイナスを0にするだけで,0をプラスにするような快楽ではないから比喩として不適切ではないか」

この質問に対して,D. Benatar氏はBetter Never to Have Been: The Harm of Coming into Existenceの中では言及していませんが,Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce?*4の中で,以下のように述べています.

 

Perhaps the defender of symmetry will respond by wanting to distinguish between relief benefits and intrinsic benefits, the latter being those things that are good in themselves. The argument would presumably be that the axiological asymmetry does apply to absent relief benefits but not to absent intrinsic benefits.

The problem with this response is that there is no sharp line to be drawn between relief benefits and intrinsic benefits.
Many (if not all) plausible candidates for intrinsic benefits may well be relief benefits. For example, having rewarding work, interesting pastimes, and satisfying personal relationships, may seem to be intrinsic benefits. However, they are also ways of preventing such harms as dissatisfaction, boredom, loneliness, sadness, and stress. A life devoid of these goods would be a boring life and thus their presence is a way of driving out (some) harm.

In response it might be argued that these goods are not “relief” benefits unless they temporally follow the respective harms and cause those harms to wane. However, this is either too literal or too narrow an interpretation of the concept of “relief benefit.” For a benefit to count as a relief benefit (at least in the broader sense of that term), it is sufficient that it block the emergence of harm. In other words, relief benefits should be understood to include those benefits that amount to either the alleviation or the prevention of harms. For example, continuous hydration can prevent thirst, but that does not mean that thirstpreventing hydration is not a relief benefit in the appropriately broader sense. Hydration is a benefit only because its absence is a harm. The absence of such a benefit is not bad unless the absence amounts to a harm.

Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce?, (Kindle版ではp30,31)

かなりざっくりと要約すると,マイナスから0にすることをrelief benefit(除去的利益*5),0からプラスにすることをintrinsic benefit(内在的利益)のように区別することは難しいということを述べています.例えば,内在的利益として,やりがいのある仕事,面白い娯楽,満足できる個人的な関係を持つことなどを挙げるかもしれませんが,これらは,不満,退屈,孤独,悲しみ,ストレスなどの害悪を防いでいるだけとも見なせるからです.つまり,「急速快復能力を比喩として用いることは除去的利益のみを考えているから不適切だ」とは言えないのです.

 

Q.「快楽の量が苦痛の量よりも遥かに大きければ,シナリオAはシナリオBよりも良いじゃないか」

この問いには様々な問題があるとD. Benatar氏は指摘します.まず快楽と苦痛は足し引きといった操作によって扱えるようなものではないということです.分かりやすい例として,苦痛というのはある閾値を超えると,快楽がどれだけあったとしても苦痛を相殺することはできなくなるということが挙げられます.

 

また,仮にそのように足し引きが可能だということを考えた場合,「(1)苦痛の存在を−,(2)快楽の存在を+,(3)苦痛の不在と(4)快楽の不在を0と評価し,(2)が(1)を超えれば良い」と思われるかもしれませんが,これは基本的非対称性の3の「苦痛の不在は良い」という主張を無視しているという問題があります.

 

これを踏まえて,(3)を+とした場合において,図2の比喩をもう一度考えてみます.確かに(2)の+が(1)の−の2倍以上あれば,SはHを上回ることになりますが,それは本当にSがHよりも良いということになるでしょうか.(2)はSにとっては良いこと,つまり+ですが,それはHに優るメリットにはなりません.繰り返しになりますが,なぜなら,急速快復能力がないことはHにとって悪いことではないからです.したがって,快楽や苦痛の量の議論によって,シナリオAがシナリオBに優るということは言えないとD. Benatar氏は説明します.

 

Q.「存在が非存在よりも常に悪いのであれば,俺ら存在者は今すぐ死んで非存在になるべきだと言いたいのか」

この問いは「非存在」という語の定義を誤解しています.前述したように,非存在とは決して存在しない人を指しているので,既に生きている人が死んだとしても非存在にはなりません.

 

D. Benetar氏はよくある誤解として「続けるに値する人生」と「始めるに値する人生」の混同を挙げています.存在は非存在よりも常に悪いという主張は,全ての人生は「始めるに値する人生」ではないということを述べています.これに対し,存在は非存在よりも良いとする人は,図1の(2)快楽の存在が(1)苦痛の存在より大きいことを理由として挙げることがありますが,これは「続けるに値する人生」かどうかについてしか述べることが出来ていません.また,D. Benatar氏は,ある人生が続けるに値しなくなるには,始めるに値しないと判断出来る時以上の悪さがなければならないはずだとも述べています.つまり,「誕生害悪説」を根拠に全ての人間は今すぐ死ぬべきだという主張(死亡促進主義)が導かれることはありません.

 

道徳的主張(反出生主義)

存在は非存在より常に害悪であるという「誕生害悪説」が得られたところで,愈々ここからどのようにして,反出生主義が導かれるのかを説明したいのですが,D. Benatar氏はその著書で誕生害悪説から反出生主義を導く際に,様々な例を持ち出している*6ものの,ある特定の原則に従って導いている訳ではない(と少なくとも私は思っている)為,何故誕生害悪説から反出生主義が導かれるのかということを説明的に説明する(腹痛が痛いみたいになってる)ことが難しいです.

 

吉沢文武先生(が11月24日のシンポジウムで配布された資料)に依れば,以下のようになります.

私たちは,さまざまな行為によって,さまざまな仕方で他者に危害を加えうる.そうした危害は,基本的には差し控えるべきである.なぜなら,先に見たように,素直に考えれば,危害という価値論的な負の評価(福利に対する負の影響)に対して,「すべきでない」という道徳的な負の評価が結びつくからである.(危害を与えるべきでないという消極的義務があるから,ではない.)非対称性に基づく議論によって,人を誕生させてはならないと主張されるのは,人に危害を与えることは避けるべきだからである.

現代思想』11月号にまつわるシンポジウム @学習院大学,配布資料:存在と非存在の比較と反出生主義,吉沢文武,2019/11/24

 

私の理解が間違いでなければ,私たちの多くは危害を与えるということに対して,「すべきでない」という道徳的直感のようなものを持っているので,誕生害悪説を認めるのであれば,人を誕生させてはならないという道徳的主張にも同意するべきだ,ということだと思います.

 

私的には「危害原理を仮定する」というようにはっきり明示してくれた方が嬉しいのですが,「政府が危害原理に従って子作り禁止令を実施する可能性があるか」という議論の説明はあるものの,「新しい人間を存在させてはいけない道徳的義務を導くために危害原理が必要だ」とは書いていませんでした.とは言え,「誕生害悪説を認めるならば,新たに人を誕生させてはならない」という主張が直感に反しているとも思わないので,そういうものかなとも思います.

 

ここまでの議論は人間だけでなく任意の感覚のある存在者に適用できる(長いので省略させてください許してください)ということから,最初に提示した「感覚のある存在者を新たに誕生させてはならない」という反出生主義が導かれたことになりました.あー長かった.

 

つまりどういうことだってばよ

  • 苦痛の不在は良いが,快楽の不在は(存在者からの剥奪を意味しない限り)悪くない
  • 故に,存在は非存在よりも常に害悪である
  • したがって,新たに子供を誕生させることは道徳的に認められないはずである

 

反論したい方へ

おそらく多くの方が反論したいと躍起になっているかと思われます.

 

反論するポイントとしては以下が挙げられると私は考えています.

  1. 普遍的な前提を認めない
    これが一番よくある反論の仕方だと思います.まあ論理的であることを放棄しているのに"反論"と呼ぶかは微妙ですが.
  2. 基本的非対称性を認めない
    D. Benatar氏の挙げた4つの非対称性を説明する為の基本的非対称性に代わる何かを提示するか,4つの非対称性を否定するかでしょうか.
  3. 誕生害悪説を認めない
    SickとHealthyの比較よりも良い比喩を考えるとかでしょうか.
  4. 道徳的主張を認めない
    これが楽だと思います.ヴィーガンに対する反論(動物は下等なので殺して良い等)も基本これに終始しているように思います.
  5. 反出生主義者の人格を否定する
    インターネッツは全てこれです.

 

学術的に反論したいという方は,まず『現代思想11月号 反出生主義を考える』の「考えうる全ての害悪」と『現代思想9月号 倫理学の論点23』の「ベネターの反出生主義をどう受け止めるか」をご一読の上,D. Benatar氏に直接会いに行くなり学会に論文を出すなりすると良いかと思われます(これはD. Benatar氏が反論を随時募集中というスタンスを取っていることに基付く意見です).

 

個人的には他の方のブログも理解を深める助けとなると思います.ただし,一般論として,ネット上に散乱する反出生主義にまつわる議論は正確でないことが多々あるので,原著を読まずに誰かのブログ(例えばこのブログ笑)だけを読んで分かった気になるのは危険だということを一応言っておきます.

 

特にこのブログでは原著における第3章「存在してしまうことがどれほど悪いのか」について全く触れていません.これは,この章の議論の中核を成す「ポリアンナ効果」に関わる参考文献The Pollyanna principle : selectivity in language, memory, and thoughtが日本国内には存在せず入手・閲覧することが金銭的に困難だったからです.気になる方はAmazonでポチって読んだ後,私に内容を教えてください.

 

「学術的とかどうでも良いけどムカつくから俺の意見を聞け」という方.この後,学術的ではないコーナーを設けていますので,そちらで納得出来ない場合に,私のTwitter(@antinataro)にリプなりDMなりしてください.返信するかは分かりません.間違っても東大当局に通報するのはやめてください

 

11月24日に学習院大学で行われた「『現代思想』11月号にまつわるシンポジウム」に参加した感想

はい,ここからはあまり学術的では無いので,安心してください.というかしろ.

 

僕は(ベネターの言う)反出生主義者ではない.しかし,ナイーブに「子供を作るのはダメだよな」という思想を昔から持っていたので,こういうことを語り合える仲間が欲しいという思いを抱えており,トゥイッターというオタクSNSで毎日検索していたらこのイベントを見付け,意気揚々と参戦したという感じである.

 

結果から言えば,このイベントは期待外れだったが,参加した意義はあった.

 

何故,期待外れだったか.反出生主義者が一人もいなかったのである!!!

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図3:反出生主義者を誰も呼ばなかった為に建物が炎上する様子

酷いよね,こんな案内まで貼って期待させてさ…

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図4:最高の案内.(「生まれてこなければよかった」で省略されている主語は「全人類(感覚のある存在者)が」であって,間違っても「あなたが」や「私が」ではない)

そもそも,『現代思想』11月号にも反出生主義者はベネターしか登場しなかったことから察せよというのはある(というか日本に反出生主義の哲学者は存在しないらしい*7.)

 

シンポジウムの内容は,講演者のそれぞれが感想を述べるという感じであまり何も思うことはなかった(内容について知りたかったのにという方は他の方のブログをどうぞ).というか自分はわざわざ反論を聴きにここまで来たのか?という感じで後半かなり悲しくなっていた.

 

そうは言いつつも,印象的だったのは橋迫瑞穂先生の「そもそも,あの,大変申し訳ないんですけど,"より良く"生きるということ自体,私自身はほとんど関心が…」という発言(これは質問コーナーでの発言で,前後の文脈が抜けているという指摘はあるかもしれないが,僕はこのシンポジウムを全て録音していたので発言したことは事実であるし,多分先生も否定されない)

 

別に僕は哲学者じゃないけど,これはかなり衝撃的で,これを言われたらそもそも議論をすることに意味があるのか?とさえ思わされる.主張として最強だと思うし,多くの人の本音であるとも思う.

 

シンポジウムで消化不良だった僕は,学習院大学の文学部の学生と講演者の懇親会にも無理を言って参加した.意義があったのはこの懇親会である.

 

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図5:懇親会の料理(反出生主義者はヴィーガンなのでヴィーガンに配慮した料理が提供されている.尚,出席者に反出生主義者はいない)

懇親会では「死」を専門とする吉沢文武先生(『現代思想』9月号に寄稿されている)に直接質問し,反出生主義に対する僕の誤解を修正することが出来た.以下,その時の質問である.

 

Q.「反出生主義では『非存在』という表現が現れるが,これは暗に心身二元論,つまり,身体と魂は別に存在するということを仮定しているのではないか」

A.「心身二元論は仮定していません.あくまである人が存在するシナリオと存在しないシナリオを比べて,その人にとってどちらのシナリオが良いかという議論をしているだけで,魂があるかないかは関係ありません(録音し忘れたので意訳)

 

Q.「反出生主義には,苦痛を最小にしたいという負の功利主義的な考えがあるのではないか.もしそうであるのなら,これから生まれさせられてしまう膨大な人間の苦痛を除くために,今生きているたった70億人をすぐに殺した方が良いのではないか」

A.「反出生主義と功利主義は関係がないので,そのような結論には至りません.また,功利主義に従えばそのような結論に至るかもしれないが,それで多くの人々が納得するとは思われません.功利主義は,かなり極端な思想です(録音し忘れたので意訳)

 

二つ目の回答は,これまた印象的だった.哲学が多くの人々に納得されるかどうかを気にするという視点は僕にはなかったからだ.科学というと,「人間」とは別に「真理」のようなものがあって,それをどれだけ正確に観測・記述出来るかという思想があるように僕は思っているが,人文社会学ではそれを「人間」に納得させなければならないという段階・作業が別にあるのだろうか(見当違いなことを言っていたらすみません).

 

とにかく,吉沢先生と話すことが出来て良かったです.あと,企画してくださった小島和男先生もありがとうございました.

 

 

 

 

 

 

 -----------注意:ここから先は不適切な表現が目に付く可能性があります! ----------- 

 

 

 

 

 

 

世の中の(無自覚な)出生主義者たちからの問いに対する学術的ではない稚拙な回答集

ここからは,本当に学術的ではない.しかし,このブログのメインでもある.

 

以下,僕ではない誰かの脳内に直接話しかけてくる世の中の出生主義テレパシストからの攻撃を,その誰かが防御する様を見ろ.

 

Q.「学術的の定義はなんだよ」

A.「知るかggrks」

 

Q.「オタクくんさあ,反出生主義とか言ってないで彼女作ってセックスしな?笑」

A.「これまで彼女は3人いたが?笑」

 

Q.「出生は否定するのにセックスはするんだ笑」

A.「反出生主義は避妊をしろと言ってるだけでセックスは禁じてないんだわ笑」

 

Q.「反出生主義者なら精管結紮術は当然受けてるんだよね?」

A.「母体保護法(男性にも適用される)があるから,配偶者の同意がある且つ現に数人の子を有する場合しか不妊手術は受けられないんだが?」

 

Q.「反出生主義って,自分は生まれてこないほうが良かったと思ってるオタクが被害者面して『生んだ親が悪い〜』って言ってるか,結婚出来ないオタクが嫉妬して『子供生むな〜』って言ってるやつでしょ?」

A.「誕生害悪説は個人がどう思ってるかではなくて,全人類が生まれてくるべきではなかったという話をしてるんだが?」

 

Q.「私は生きるのがつらかったのですが,反出生主義で救われました」

A.「お前みたいな陰キャがいるから,↑みたいに反出生主義が誤解されるんだろうが💢

A.「『反出生主義で救われたから陰キャだ』というような意味に取れる,また『陰キャ』の定義も定かではない,という意見を頂きましたので,訂正させていただきます.私がこの回答で言いたかった事は,『反出生主義を唱えている人間は,自分の人生がつらいと思っている人間に違いない』という意見に対して『そうではない,自分の人生がつらいかどうかと,反出生主義を主張するかどうかは全く別の話である』という事でした.この事を雑に要約して,上の様な文になってしまったのは大きな誤解を招きかねないものだったと深く反省しております.」

 

Q.「俺は生まれてきて良かったと思ってるし親に感謝してるし結婚してるし子供も作るから,残念でした笑」

A.「お前の子供が子供を作る頃までには絶対子供を作るべきではないという思想を普及させてやるからな,孫の顔が拝めると思うなよ?」

 

Q.「そういうことばっか言ってても幸せになれないよ?」

A.「お前は奴隷制が廃止されたのは奴隷を使役している側の利益の為だったと本気でそう思っているのか?」

 

Q.「極論を言う人間にロクな奴はいない.反出生主義が本当に正しいかについて賛否両論ある内に出生が否定されるのは望ましくない」

A.「奴隷制完全廃止を訴えた人間たちも全員ロクでもない奴ばっかだったよな?奴隷制が本当に正しいかについて当時は賛否両論あったのに廃止を断行した人間たちは愚かだよな?」

 

Q.「親不孝」

A.「親(が子)不孝」

 

Q.「子供が生まれなくなれば国家は衰退し,他国から侵略される危険性があるのでは?例え侵略されずとも,国家が衰退するにつれインフラは機能しなくなり,今生きている人間の幸福が害されるのでは?」

A.「ドナーが腎臓を勝手に奪われない権利を持つように,存在していない者は存在者の利益の為に『存在させられない権利』を持っていると考えると?」

 

Q.「誕生することは害悪と言うけど,実際に不幸だと思ってるのは少数派だ.」

A.「誕生害悪説はちょっと針で刺されたような痛みしかない幸福な人生であったとしても,決して存在しなかったことより悪いという主張だというのは敢えて一旦置いておく.ストックホルム症候群をご存知か.我々は全員,親によって既に生まれさせられてしまっているという強烈なバイアスの中を生きている.この状態で果たして正常に自身の幸福について評価出来ていると言えるだろうか」

 

Q.「真に幸福かどうかではなく,主観的に幸福だと感じていればそれで良いじゃないか.例えば人間より高次の存在が現れて,私たちの生活を非文化的だと哀れんだとして,それが一体どうしたと言うのか」

A.「主観的な幸福度を強烈に左右する薬(抗鬱薬向精神薬を指しているのではない)があったとして,それを飲んで幸福だと思えればそれで良いと言いたいのか.我々が高次の存在よりも酷く劣悪な環境にいることを自覚出来ているのなら,どうして更にその犠牲者を増やそうとするのか.人間よりも低次な存在(動物等)は自らの非文化性を受け入れて暮らしてるのではなく,単に無自覚だからではないのか」

  

Q.「お前らオタクが子供作らないと宣言するのは勝手だけど,それを俺たちに押し付けるなよ.はっきり言って迷惑」

A.「奴隷制を廃止した国家が奴隷制を維持している国家を非難することはどうだろう.少し譲歩して,奴隷制を比喩に使うことが妥当だとされるほど明確に子供を作ることは悪いと認識されている訳ではないとしよう.今,子供を作る人間と子供を作らない人間でルールを押し付けているのはどちらか.これは明らかに子供を作る人間である.児童手当のための税金は子供を作らない人間からも徴収されている.育休・産休などの休暇は,子供を作らない人間には与えられない.迷惑を掛けているのはどちらだろうか」

 

Q.「子供を作らない人間も年を取ったら若い人間に介護されるようになるんだから,子供を作る人間が優遇されるのはおかしなことではないが?」

A.「高齢者を殺害した人間は社会負担を軽減させることに貢献したと考えられるので,寧ろ優遇されるべきであるーと同じくらいおかしいと思うけど?」

 

Q.「子供作ったらダメは分かるけど,ヴィーガンは無理」

A.「これは同意見.人間に関してのみ反出生主義を適用することを,区別して反ホモサピエンス出生主義とし,動物に対して危害を加えることを容認するのは種差別であると非難されることがあるが,これは全く理解出来ない.反ホモサピエンス主義の実践によって,人間が絶滅すれば自ずと動物に対する人間の搾取は無くなるのである.逆に人間が絶滅することなく動物に対する搾取が無くなったとしても,人間の存在してしまうことの害悪が残っていれば意味がない.更に言えば,人間が絶滅しても動物は繁殖し,肉食動物による搾取や,飢餓などの苦しみ,存在そのものの害悪は全く減らないのである.本当に人間以外の動物の存在してしまうことの害悪を取り除こうとするのなら,人間が能動的に全ての動物を殺戮することによってしかそれは達成されないのである.したがって,全ての動物の殺戮が達成されない内にヴィーガンになることは,存在してしまうことの害悪を根絶させたいという観点からは全くもって無意味である(反出生主義とは独立に人間の繁栄を望みながらヴィーガンを実践する試みに関しては,ある程度論理が通っていると感じる)

A.「誤解を招く意見であるというご指摘をいただきましたので,修正いたします.私が今最大の論点にしようとしている(ベネターの主張とははっきりと違うという事を一応申し上げておきます,つまり私はベネターの言う反出生主義者ではありません,上述しましたがベネターの反出生主義を支持するのであればヴィーガンになる事は避けられません)ことは,『感覚のある存在者を全てこの世に存在しないようにするという最終的解決を達成出来るか』どうかという点です.確かに,ヴィーガンになることで今いる動物,及び人類が絶滅するまでに搾取され得る動物の苦痛を取り除くことが可能になります.しかし,人類が絶滅しない限り,先の論点においてはある種『焼き石に水』のような解決方法になってしまっていることは否定出来ません.また,生殖を禁じられることと同様かそれ以上に,肉食を禁じられることに抵抗を感じる人が多いことを考えると,生殖をしないことの普及と肉食をしないことの普及を同時に達成するのはより困難なように思えます.この意味で,ヴィーガンになることは本質的には先の論点を最大の問題とする立場において良い戦略とは考えられない,ということを言いたかったです.ご不快に感じられた方がおられましたら,お詫びいたします.」

 

Q.「オタク!口臭いんだから喋るな!!」

A.「…」

 

 

 

終わり!

*1:Benatar, D. 2006, Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence, Oxford University Press.

*2:デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かったー存在してしまうことの害悪』,小島和男・田村宜義訳,すずさわ書店,2017年

*3:デイヴィッド・ベネター『現代思想11月号 反出生主義を考える』考えうる全ての害悪,小島和男訳,青土社,2019年

*4:Benatar, D. & Wasserman, D. 2015, Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce?, Oxford University Press.

*5:除去的利益という訳し方はこのブログから引用しました

*6:生殖型クローニングを認めないなら一般の子供も認めるべきでない,救世主ベビーを認めないなら(以下同文),重度の遺伝性疾患児を認めないなら(以下同文)等

*7:吉沢文武先生に直接聞いただけで僕が自分で調べた訳ではない